不定期日記2003 |
12/27 朝食を食べてから最後の検査。経過は順調。そのまま退院準備。 10時前に病室を追い出されて、談話室へ行ったものの、結局、会計が終わったのは12時過ぎ・・・ 計算くらい昨日の内にすませて置いて欲しい・・・むしろ、お昼ご飯下さい(T-T) 今回の入院、手術費の総計\81,750。今までの検査費とか合わせれば楽々10万円突破。確定申告で医療費控除が受けられるなぁ・・・いや、そうとでも思ってないと(T-T) 12/26 朝、6時に起床。検温と血圧測定。今日は朝食の前に検査。おそらく昨日手術した全員の術後検診。視力検査のために術後始めてガーゼを外して右目を開く。まぶしくて、くらくらする・・・両目開けてられない・・・右目の視界はシャープネスかけてからぼかしたような感じ。度の合わない強いメガネをかけてるような感じ?近視は目の長さに合わせて眼内レンズ作ったんだから改善されてるとしても乱視までは治ってないし。 最後の検査はいつもの先生ではなく、多分、一番偉い教授?担当医が術前と今の検査結果を報告していた。『ハンドシェイクから術後、矯正視力1.2まで改善。インターなんちゃらで』『インター?』『インターなんちゃら・・・なんちゃら白内障で・・・』『インターじゃ真ん中でしょ?用語をもう一回調べておきなさいね』とかいう一幕も大学病院ならでは? 術後の経過も良好で順調に回復しているよう。今まで白内障で曇っていた分、まぶしく感じるのはしょうがないし、そのうち慣れるからとか。徐々にならして行けばいいようです。両目で見るのも同じ。 『明日、退院。その後は年明け5日に診るから。その前に痛くなったりしたらすぐ連絡して。病院は休みだけど当直医がいるから』ということだった。 12/25 6時に天井灯がついて目が覚める。昨日手術をした人の検査をしているらしい声がした。目の手術じゃなく別の手術だったぽいが、血がたまってるとかなんとか大変そうなことを言っていた。夜中にも何回か処置していたみたいだし。 しばらくすると私のところにも看護婦さんが検温にやってきた。N.M.D点眼液というのを8時から30分おきに右目に点眼するように言われる。後から聞いた話だと散瞳して手術しやすくする薬だったらしい。それと手術後から飲む抗生物質等の薬とその説明。最後に血圧を測ると134-80と少し高めだった。脈拍も早くなっていたらしい。 『手術前で緊張してるんでしょう。終わったらあっさり戻る人、よくいますよ?』と言われる。特に緊張してるとは意識してなかったがそうなのかも? 手術は11時からだが、10時半に手術着に着替え、車椅子に乗せられて手術室へ。でも、前の人が特殊な手法で手術してるとかで、そのまま待機室で1時間ほど待たされる。この人もともと時間かかるから午前最後に回されていたんじゃないのか? 11時半ごろ、ようやく呼ばれて手術室へ。名前を確認された後、心電図の電極、左腕に血圧計、口元に酸素チューブをつけられる。右腕には抗生物質の点滴、人差し指には脈拍計?『しみますよ〜』と前置きされて目の麻酔薬(兼、眼球運動の抑制)を3度に分けて点眼。確かに最初は目を開けてられないほどしみたが、2回目は少ししみる程度、3度目は冷たいと感じる程度に。ちゃんと効いているらしい。それから『左上の方を向いていてね〜』と言われて右目の下に局所麻酔の注射(侵潤麻酔というらしい)。そして、顔に右目のところだけ穴の開いた布をかぶせられて、その上からいろいろと器具を取り付けた(らしい)。 『これ痛いですか〜?』と聞かれたが、触られてるような感覚があるだけだった。このとき、多分瞼を固定していたんだと思う。この時点で何も見えなくなっていた。暗くは無かったが、何の形もなく、全く均等な灰色にしか見えなかったというか見えたというか・・・左目の方には当然かぶせられている布が見えてるわけだが。ここまでで準備は完了。 術式としては、黒目の少し上の白目のところを3mmほど切開。超音波で濁った水晶体を破砕した後、吸飲。代わりに折り畳んだ人工レンズ(目の中で開く)を挿入して縫合。 私の実際の感覚だと、消毒液だかなんだかを流された後、目をとんとんと叩かれてるような感覚。多分、切ってたんだろうなぁ・・・また消毒薬を流されて、目に何か当てられた後、吸飲するような音、消毒液、何か当てる、吸飲。途中、少し意識がもうろうとしていたらしくこれ以上思い出せない・・・ 『では、今から眼底を調べます』と言われた後、チクチクと刺激が。「ちょっと痛いです」と申告したところ、『瞼のところに当たってると痛いかも知れませんが我慢してください』と言われた。 しばらくして、『はい、眼底検査の結果、ちょっと薄くなってるところはあるけど網膜に穴とかは開いてないので、このまま予定通り眼内レンズを入れて終わりです。』と教えてもらって一安心した後、目に何かが当たっている感覚、吸飲音、洗浄液を流されて、『はい、終わりました。成功です。』との声。 「ありがとうございます」と答えている内に手早く顔の器具と布が取り払われて、右目にガーゼを貼られ、電極や点滴針が外されて、車椅子が運ばれてきた。少し朦朧としていたが自力で車椅子に移動。そのまま病室へ。 『痛かったり、気分が悪かったりしませんか?』と聞かれたので右目の感覚が無くて、今開けてるんだか閉じてるんだかわからない。」と答えると『前の人もそんなこと言ってましたよ。』と返された。「痛いところはない、というか手術中は点滴の針の方が気になってました」と言うと『目の下の注射は痛くなかったですか?』と聞かれたので「アレも痛かったけど、点滴は刺しっぱなしだったんで異物感というか、そんな感じで・・・」なんて会話している内に病室に到着。時計を見たら12時半で、昼食も置いてあったがすぐには食べる気がせず、しばらくベッドに横になっていた。 15分程横になっていたら、ようやくだるさが無くなってきたので、ゆっくりと昼食を取る。食べ始めたら一応全部食べられた。またしばらくして看護婦さん登場。『遅かったですね。なかなか帰ってこないんで心配してたんですよ。』と言われたので、「前の人が手間取ってたらしいです。」と答えると、『どの位待ったんですか?』と聞かれたので「1時間くらい?」と答えると「大変でしたね〜。でも、手術はうまくいったみたいで。おめでとうございます」と。 血圧と脈拍を測定。122-74、脈拍も正常値・・・ホントに緊張していたらしい。 『今日はもう目には何もしません。明日になったら定期的に目薬をつけるんで、あとで持ってきますね。』といって看護婦さんは去っていった。1時間ほど安静にしてなきゃいけないのでそのまま寝る。 13時半頃、家に手術が終わったことを電話。また寝る。14時過ぎに父がお見舞いに来たので談話室に移動。しばらく話していると麻酔が切れたのか右目の視力が戻ってきた、といってもガーゼで覆われているので真っ白だったが。自分で瞬きしているのは自覚出来た。痛みは特に感じなかった。 12/24 父に車で送ってもらって病院へ。10時に入院手続きをした後、部屋に荷物を置き、早速検査。視力検査と眼圧検査、散瞳しての眼底検査。明日の手術の説明を受けて、今日の検査はこれで終わり。でも、散瞳したら数時間は細かい物を見られない(というかまぶしいし疲れる)のでそのままベッドで寝る。 時々、看護婦さん(女性看護士と言うべきだろうけど気分の問題)がやってきて検温とか、血圧測定とかしたり、手術同意書にサインしたりする。なんかドジッ娘ぽい印象だった。いや、検査はちゃんとやってくれるけど、忘れ物が多かったんで。『今日は忙しいんですよ』とか言っていた。実際忙しかったようだけど。同室の人が手術中だったし。 広範囲抗菌点眼剤とかいうのを12時、18時、21時に右目に点眼するように言われる。それと手術の順番の変更があった。私が明日朝一だったのが午前最後に。私の場合、手術中の検査の結果により 追加の手術や、逆に別の日に分けて手術をしなければいけない可能性があったので、臨機応変な対応が出来るようにということらしい。といっても9時が11時になるだけなので大して変わらない。 夕食にはクリスマスカード(カラーコピー)とともにローストチキンとケーキが出た。一応クリスマス気分?さすがにクリスマス特集ばかりのテレビは見る気になれなかったが。 21時に消灯。 12/23 今年はクリスマスCG無しだ!だって私自身にクリスマスが来ないし・・・とか昨日までは思ってたのですが原稿完成のめどもついたので思い直しました。 久しぶりにイフリータを描いたら全く似ないし・・・なんかアメコミ風な気もするなぁ。 と言うわけで明日から3、4日入院してきます。その間完全に音信不通になるのでよろしく。完全な視界を取り戻して帰ってくる予定ですが、入院の準備って結構面倒くさい・・・ 会社で何も起こらないと良いけど。 では、退院後にまたお会いしましょう(^^)/ 12/22 とりあえず、原稿本編は完成。完成ったら完成なんだ。背景がないとか言うなぁ〜っ!(逆切れ) 前書きとか文字部分は病院で入院中に考えることにしよう。多分暇だろうし。 ・・・コミケ行っても大丈夫だよね?(爆)混んでるところには行かないから・・・絶対安静とか言われたらさすがに行けませんが、まあ、多分大丈夫・・・かな?(^^;;; もう寝ます。お休みなさい・・・ 12/16 入院と手術の日程が決まりました。12/24に入院して、25日に手術。26か27に退院予定・・・ クリスマスは病院で過ごすことに決定(T-T) まあ、別に一緒に過ごす相手がいる訳じゃないのが不幸中の幸いなんだか、不幸中の不幸なんだか・・・でもクリスマスに病院で一緒に過ごしてくれるというのは、萌え? ・・・やっぱり不幸らしい。病名が白内障というのもな。 12/14 フセインが捕まったそうですが・・・なんか今更というか・・・イラク情勢にどの程度の影響があるのやら。とりあえず好転することを祈ります。 原稿の息抜きに少しサイトのリニューアルでも、とか思ってやってみたら、そっちの方がよほど大変だったりして(^^; 全部やってたら原稿どころじゃなくなってしまうので、とりあえず保留。中途半端にリニューアルされてますけど・・・ 12/7 日本人二人が犠牲になって、ますます混迷が進むイラク自衛隊派遣問題ですが、なんか論点がずれてますよね。 テロに屈する屈さないとかじゃないでしょう?むしろ、そんなことを言い出すこと自体が既に見当違いだと思うのですが。 「イラクが焦土と化してイラクの一般市民が困っている。だから復興の手助けをしよう。」というのが復興支援であって、 危険だとか危険じゃないとかは関係ないんではないかと。逆に戦闘地域での活動は「復興」とは言いませんよね。 で今、自衛隊を派遣すると言うことは私の思うところ、イラクではなく「米軍の支援」に行くことになると思うわけですよ。 当然イラクにとって米軍は侵略者ですから、自衛隊は侵略者の片棒を担ぐ者としてテロの標的になることはほぼ確実です。 アメリカがどんな詭弁を使ってもイラク全土が未だに戦闘区域なのは明らかですし。それで自衛隊員に犠牲者が出ても 「侵略者の仲間が殺されても当然」という見方をされたら犬死にです・・・ 本当にイラクを復興したいならまず、米軍を全軍撤退させてその上で、国連のPKOを派遣するのが筋でしょう。そして 自衛隊はPKOを派遣の一環として派遣されるべきです。まあ、それでもアルカイダのテロとかあるでしょうけど、例えそれで 自衛隊に限らずPKOに犠牲が出たとしても「イラク復興支援のための名誉の殉職」です。犠牲者を讃えこそすれ非難する人は いないでしょう(犠牲が出ないに越したことはないですが)。 アメリカがイラクの石油の利権が欲しくて、日本もそれにあやかりたいとか言うのが本音なんでしょうけどねぇ・・・ 北朝鮮問題でアメリカの機嫌を取っておきたいとかいう話もありますが実際、攻撃されたとして「イラクに自衛隊派遣しなかった から日本を助けない」とかアメリカが言い出したとしたらそれこそねぇ・・・いいよ。国連に助けてもらうから。 純粋にイラク国民のために復興支援して欲しい・・・なんてのは既に理想論ですか? 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1/26 1/19 1/12 1/1 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします♪ 今年はなんかいまいち新年を迎えたって実感が薄いんですが・・・たぶん最近の |
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