我が城で踊れ潜入者 


第七章 舞台に上がる出演者(前編)



 控え室の中は、いつもと全く変わりがなかった。侍女達が忙しそうに動き回り、姉と
自分の身支度を整えていく。数時間前の騒動の跡などまるで残っていない。
 ロンズも謁見の間とこの控え室をつなぐ扉の横にいつも通り、不動の姿勢で立っている。
本人に聞いても『大したことはありませぬ』としか返答してこないのでこっそり医
師に聞いてみたところ、内臓に損傷はなかったらしいが、それでも肋骨三本にひび、一
本は折れていて、本来なら絶対安静だという話だった。
 いつもと違うところと言えばおそらくは杖代わりなのだろう、棍を持っていることく
らいで表情にはそのことを全く出していない。凄まじい精神力だった。
 自分に心配をかけさせぬ為。そして姉にあの事件を気取られぬ為。そういった忠誠心
が彼に鋼の精神力を与えているのだろう。全く脱帽するばかりだ。
 と、そこに扉をノックする音が響きわたった。
「誰じゃ?」
 緊張がまだ解けきっていない為だろう、ファトラはすかさず誰何の声を上げた。
「アレーレです、ファトラ様。」
 相手―アレーレも即答してきた。ちらりと姉に目配せしてから入室の許可を出す。
 挨拶と礼もそこそこ、アレーレはファトラに駆け寄ってきた。
「喜んで下さい、ファトラ様!あの機械、直りました!!」
 ファトラの手をとって、そのままぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを表現しているアレー
レを見て、事情を知らない侍女達は、ぽかんとしていたが、事情を知っている数人は歓
喜の声を上げた。ルーンも胸の前で指を組んで目を輝かせている。ロンズはアレーレの
非礼をたしなめようとして口を開きかけていたところらしく、とっさに表情を変えられ
ずにひどくおかしな顔をしていた。
「いつもの妾に、戻れるのだな…」
 確認するようにつぶやく。
「そうです。いつもの強くて凛々しいファトラ様に戻れるんです。」
 感極まったのか大粒の涙が溜まった瞳でアレーレが見つめ返してくる。思わず愛おし
さがこみ上げて来るのを感じながら、それでも抱きしめるのだけは自制する。
「ファトラ、早速行ってらっしゃい。」
 ルーンが肩に手を置いて、優しく微笑みを浮かべて告げてくる。姉の目にも涙が浮か
んでいた。
「アレーレ、ファトラをお願いしますね。」
「はい、任せて下さい、王女様!」
 ルーンの言葉に力強く返答し、一礼するとアレーレはすぐにファトラの手を掴んだま
ま駆け出した。
「ち、ちょっと待たぬか。」
 そう言いつつファトラ自身もはやる心を抑えきれず、すぐにアレーレの歩調に追い付
いていた。


「正気なのか?」
 愚問という物に例文があるとしたらまさしくこれがそうなのだろう。
 正常な判断が出来ると確信できる相手に問うことではない。ましてや自分を見失って
いる者の言葉が信用できるわけもない。
 結局の所、相手の返答に意味など無いのだ。そもそも答えは既に自分で出してしまっ
ているのだから。無論、自分の望む答えが返ってくることなどあり得ない。
 これが愚問以外のなんだというのか?
 そして―愚問には愚行を止める力など無いのだ。
「兄上には…理解できぬでしょう。」
 目の前の女―第一王女、姫将軍、どう呼ばれようと私の妹だ―がゆっくりと口を開く。
「私は籠の中の鳥にはなりたくなかった。そのための努力もしてきたつもりだ。そして
その努力は父に認められ、私は大空を羽ばたく自由を得た。…そう思っていた。」
 そこで一旦言葉を切り、こちらから視線を外す。再び視線が戻ってきたときには彼女
の表情は更に苦々しいものに変わっていた。
「だが、結局それは偽りの自由に過ぎなかった。結局、私は王女という鎖にからめ取ら
れ、籠の中に引き戻されるのだ。」
「もう一度努力することは出来ないのか?」
「この国が私を人質に取られるのと同時に、私もこの国の全てを人質とされるのだ。抵
抗どころか反論一つすら出来るものか。そんなこと兄上とて判っているはずだ。」
 愚問だ。そんなことは分かり切っている。だが、それでも言葉を紡ぎ出さなければな
らない。それが今の自分に出来る唯一のことなのだから。
「私に選択の余地など無いはずだった。だが、父は私に選択肢を与えてくれた。」
 彼女が右手をゆっくりと自分の胸の前に持ってくる。手にしている装置とともに。本
来は破壊された鬼神からデータを吸い出すための装置だ。それを酔狂な科学者の一人が
いじくり回している内に偶然、人間にも使用可能になった。そう聞いている。
「それで…私を、いや、自分の体を生贄として自由を得る。そう言う選択肢か。」
 こちらの視線に一瞬たじろぐ素振りを見せた彼女だったが、すぐさまそれを跳ね返そ
うとするように一歩前に身を乗り出す。
「そうだ、父上が必要しているのは結局兄上なのだ!どんなに努力をしようと私は兄
上を越えることは出来ない。だからせめてその姿を奪ってやるのだ!!」
 彼女もまた勘違いしている。父が必要としているのは自分の意志に忠実な後継者だ。
ただ、息子の中で生き残っているのが自分しかいない。それだけの理由に過ぎない。
「私が自由を得るにはこの選択しかないのだ。それ以外の方法があるというのなら…兄
上が私の姿で実行してみるといい。」


 感覚が突然ブラックアウトし、すぐに新しい感覚が戻ってくる。そのギャップにめま
いを覚えながらもファトラは目の前に向かい合わせに座っている男に質問を投げかけた。
「今のがそなたの異能力、シンクロというものか?」
 自分自身の能力を完全に制御していたためか、ただ、この感覚のギャップに慣れてい
るだけなのか、平然とした様子で、ただし、こちらの質問には困惑した表情で目の前の
男―誠は答えてきた。
「そうやけど…ファトラさんにも見えたんですか?」
「一時的にあの中でそなたと妾の精神が混じり合っていた影響であろうな。しかし、ど
うせ見せるならもっとマシなものを見せぬか。よりにもよって…」
「ファトラ様〜!!」
 横からもの凄い勢いで抱きついてきたアレーレによって、その言葉は途中で途切れる
ことになった。
「ファトラ様、ファトラ様ですよね。正真正銘、私の愛するファトラ様ですよね!」
 アレーレはそう言いつつ、力一杯抱きしめながら、ぐりぐり左右に揺さぶってきた。
関節がキリキリと悲鳴を上げているのがはっきりと聞こえる。
「やめぬかぁ〜!!」
 さすがに我慢の限界に達して、ファトラは全身全霊を込めてアレーレを引き剥がした。
ころんと床に転がるアレーレを眺めつつ、極められていた右肩を回してみる。どうやら
痛めてはいないようだった。
「酷いです、ファトラ様。やっぱり私のファトラ様じゃ無いんですか?」
「あれ以上やられたら体がどうにかなってしまうわっ!安心せい、すっかり元通りの妾
じゃ、全く。」
「おめでとうございます、ファトラ様!」
 再び駆け寄ってくるアレーレを今度は先んじて押さえ込み、やっと誠に向き直る。
「誠、そなたも大丈夫か?」
「え、えぇ。大丈夫です。これで一安心ですね。」
 無邪気な笑顔を浮かべる誠に多少の嫌悪感を覚えたが、ファトラはとりあえず、今は
誠の傍らに置いてある、今回の元凶となったあの装置を手に取ろうとした。しかし、横
から伸びてきた手がそれを阻止する。
「ファトラ様、触ったら危ないです!」
「止めるな、アレーレ!」
「でも…」
「大丈夫や、アレーレ。触ったくらいじゃもう暴走せんよって。」
 誠が相変わらずの何も判っていない笑顔を浮かべながら口を挟んだ。
「では、誠。それをとってはくれぬか?」
「いいですよ。どうぞ。」
 誠からそれを受け取り、2,3歩下がる。と同時にファトラはそれを思いっきり床に
叩きつけた。
「何するんや、ファトラさん!」
 更に踏み砕こうと足を上げたところを誠に組み付かれて、バランスを崩したものの何
とか踏みとどまり、ファトラは叫び返した。
「このような物、破壊してしまった方が世の為じゃ!誠、そなたとてそれは身をもって
判っているであろう!?」
「でも、これかて先エルハザード文明の研究には必要な資料や。個人的感情でどうこう
していいものやあらへん。」
 振りほどこうとするこちらの動きに必死に抗いつつ、誠が反論してくる。すぐに振り
ほどけるかと思ったが意外にしぶとい。それがよけいに気に障った。
「このような人の精神を弄ぶ代物など、研究する価値など無いわ!そなたと妾がここ数
日に体験した事だけで十分じゃろう!?」
「研究言うもんはそんな簡単な物やあらへん。一つの物を深く研究していく内にそれだ
けに止まらない新たな発見と展開があって、どんどん発展していくものなんや。」
「詭弁じゃな。判っておるのだぞ、そなたが何を考えておるのか。」
「僕が?何を?」
 その言葉を聞いて誠の動きが止まる。一気に畳みかけるべく、ファトラは言葉を継い
だ。
「イフリータのことじゃ。」
 『イフリータ』の名を出され、あからさまに動揺する誠をその隙に振りほどき、更に
続ける。
「あれを使えばイフリータを人間にしてあげられるかも知れない。そうじゃろう?」
「そ、それは…」
「まあ、仮にうまくいったとしてそれは本当にイフリータと呼べるのか?どんなに外見
がそっくりだったとしても所詮他人の体。違うか?」
「………」
「今そなたが為すべき事は神の目を一刻も早く解析する事じゃ。その先のことを考えて
いられる程、解析は進んでおるのか?」
 反論する糸口さえ掴めず、誠は完全に沈黙していた。既に視線もこちらにはない。
「疲れたから今日は壊すのは止めてやるが、その辺り、よく考えるのじゃな。行くぞ、
アレーレ。」
「あ、待って下さい、ファトラ様!」
 後ろからぱたぱたと音を立ててアレーレがついてくる。振り返らずとも判る。そして、
誠がただ、立ちつくしていることも。

後編に続く)


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