我が城で踊れ潜入者 


第九章 未来を探求する者たち(前編)


 首の痛みで目を覚ます。最初に気付いたのはどうやらアイマスクのような物を付けら
れているということ。しかもその上からかなりきつく布を縛り付けてあるらしいこと。
体の方も座らされた姿勢で、椅子に縛り付けられていて、身じろぎ程度の動きしかでき
ない。後ろ手に縛られた手に至っては指を一本ずつご丁寧に縛り合わせてあった。そし
て、口には舌を噛み切られないようにだろう、マウスピ−スをはめられていた。
 それがリリィが把握できる現状の全てだった。
「お目覚めのようじゃな。」
 ほぼ正面から声が聞こえた。その反響具合からここはそれほど大きくない小部屋なの
だろうと分析している自分に気付き、リリィは自嘲した。それが判ったところで状況が
好転するわけでもない。暗殺者を殺さずに捕らえる理由などそれほど多くはない。
「さて。早速じゃが、そなたには二つの選択肢がある。楽に死ぬか、苦しんだ末に死ぬ
か?楽に死ぬのは簡単じゃ。こちらの質問に全て答えてくれればよい。だが、もし答え
ぬというのなら…それ相応の対応をさせてもらう。」
 声の主―ファトラは淡々と事務的な口調でそう問うてきた。もちろんあくまで形式的
な物に過ぎないのだろう。暗殺者が依頼主に不利になるようなことを簡単にしゃべるな
どと思うほどファトラ王女は初なお姫様ではない。
 リリィが無言のままでいるとファトラは更に続けてきた。
「一応言っておくがそなたが何処の手の者か調べるのは、我がロシュタリアの情報網を
駆使すればそう難しいことではない。口を閉ざしても、苦しむ時間の分だけ損という物
じゃぞ?こちらとしては時間の無駄は避けたいのじゃが?」
 ファトラの言葉に嘘はないだろう。だが、だからといって口を割るわけには行かない。
これは暗殺者としての義務と言うより、むしろプライドの問題だ。暗殺に失敗したこと
なら自分の技量が足りなかっただけに過ぎないが、口を割ったとあっては、もはや暗殺
者を名乗る資格はない。
「そうか。では、妾の出番はここまでじゃ。もう会うこともあるまい。」
 ようやく諦めたらしい、ファトラが席を立つ音が聞こえた。それと同時に部屋に別の
気配が入ってくる。
 自分が最後まで暗殺者たり得るか、それとも只の殺し屋に成り下がってしまうか。リ
リィにとって人生最後の試練が始まろうとしていた。


 仮眠のつもりでベッドに潜り込んだファトラが目を覚ましたのはその日の夕方のこと
だった。
 今日も公務をさぼってしまったことになるが居眠りしてしまうよりはマシだろう。姉
にはロンズを通じて体調が悪いと伝えてある。実際、大した手傷を負ったわけではない
ものの疲弊しているのは事実だった。やはり、その辺のならず者と暗殺者では訳が違う。
 このまま、また寝てしまおうと主張してくる、まだけだるさが残る体に逆らって、強
引に起きあがると服装を整えてからファトラは部屋を出た。
「あ、ファトラ様!」
 廊下に出るとすぐ、アレーレの声が響いて来た。声の方向に顔を向けるとアレーレが
ぱたぱたと走り寄ってくるところだった。ポットとカップの載ったトレイを持っている
所を見ると給仕でもしている途中だったのだろう。
「お体の具合はもうよろしいんですか?」
「うむ。寝たらだいぶ良くなった。」
 心配そうにそう問いかけてきたアレーレにファトラは笑顔を浮かべてそう答えた。
「そうじゃ。ウーラはどうしておる?」
「あちこち火傷してましたからお薬付けて包帯を巻いておきましたけど、ウーラがあん
なになるなんて一体何があったんです?」
 さすがに方術の炎の中に投げ入れては無事というわけには行かなかったウーラを、ア
レーレに預けたのは早朝のことだった。その時はこちらの疲労を察して、何も聞かずに
そのままウーラの手当をしに行ったアレーレだったが、今までずっと疑問に思っていた
のだろう。
「妾を護っての名誉の負傷じゃ。手厚く看病してやってくれ。」
「仰りたくないのなら無理に聞きませんけど、余り無茶をなさらないで下さい。ファト
ラ様に何かあったら…」
 ファトラは中腰になって、アレーレに顔を近づけ、右手で彼女の頬に触った。
「すまぬ。心配をかけたようじゃな。だが、もう少し待ってくれぬか?全てに片が付い
たら必ず話してやるから。」
「判りました。約束ですよ。」
 複雑な表情を浮かべていたアレーレだったが、無理矢理笑顔を作ってそう言うと、そ
れ以上は何も聞いてこなかった。
 どのくらいで片が付くのかはリリィ次第だが。まあ、それほど長いことはかからない
だろう。暗殺者が彼女だったことまでは話すつもりはないが、昨夜のことを聞いてアレ
ーレがどういう反応をして来るだろう?武勇伝として聞いてくれるか、それとも―
(怒り出すかも知れぬな。いや、むしろこちらの方の可能性が高いか?)
「すいません、ファトラ様。これを運ばないといけないので。」
 アレーレがトレイを示してそう告げてきたのを聞いて、ファトラは慌てて顔を上げた。
「おっと、すまぬ。邪魔をしたようじゃな。何処に行くのじゃ?」
「研究室です。ストレルバウ博士と誠様に。」
「研究室じゃと?なら、妾も用がある。」
 ファトラはアレーレにそう告げると、彼女と並んで歩き出した。


「お茶をお持ちしましたぁ!」
アレーレが研究室のドアをノックしてそう告げるとすぐにストレルバウの返事が返って
きてドアが開く。
 アレーレの後ろに続いてファトラが中にはいると、それに気付いたストレルバウが慌
てて挨拶をしてきた。それを適当に聞き流しながら、研究室の中を見回す。ばつの悪そ
うな顔をしてこちらを見ている誠と目が合うのに数秒とはかからなかった。机の上には
予想通り、例の装置が置いてある。
「ファトラさん…」
 誠がつぶやきともとれない声を発するのを聞きながら、ファトラは無言で誠の前まで
歩いていった。
「これを…壊しに来たんですか?」
 口調は弱々しいが、それでも誠は視線を外さずにファトラを睨み付けてきていた。だ
が、だからといってどうと言うこともなくファトラはそれを軽く受け流す。
「そなたが自分の為すべき事を置いて寄り道をしているというのならな。」
「僕はイフリータを迎えに行く。そしてそのために神の目の原理を解明する。それが僕
が為すべき事や。」
「ならば、今、そなたは何をしておる?」
 ファトラの口調はあくまで静かだった。ただ問いだけを投げかける。
「どうしても、あの王子と王女のことが気になって…」
「この機械で入れ替わった愚か者のことか?で、判ったのか?」
 ファトラのこの問いに誠の表情がはっきりと曇る。
「ダメやった。これに残っとるんわ、あの二人が精神を入れ替えるまで。それ以降のこ
とは全く判らへん。」
 元々この装置は情報の蓄積を目的にした物ではない。ただ、人間の精神を入れ替える
際にたまたまその残留思念が残っていたに過ぎないのだ。それ以降のことが残っていな
いのは当然ではあった。
「つまりそなたは今日一日を無駄に過ごしたわけじゃな。」
 ファトラがとどめの一言を発すると、誠は完全に沈黙してしまった。結局何の成果も
上げられなかったのだから言い訳する事もできないのだろう。
「そなたのシンクロ能力は、確かに先エルハザードの遺物を解析する上でこの上なく重
宝な物であろうな。だが、肝心のそなたがその能力に振り回されてどうする?」
「振り回されている?僕がですか?」
 思いも寄らなかったのだろう言葉を聞いて、誠の顔にはっきりと動揺の色が浮かぶ。
「自分の能力を過信して、ありもしない情報を探し当てようとしていたのであろう?そ
して、そのせいで貴重な時間を無駄にした。まさしくその通りではないか?」
 考えてみれば自分も、一人で暗殺者と対峙するなどと言う無茶をしたばかりではあっ
たが。
「ストレルバウ!」
「はい。何でしょう、ファトラ王女?」
 今まで、出入り口から少し入ったところでアレーレと共に事の成り行きをじっと見守
っていたストレルバウが返答してきた。それを聞いてからファトラはそちらに振り返る。
「そなたが付いていながら今までこんな無駄なことをやっておったのか?」
「ファトラ王女。その機械に残っている情報は断片的であるとはいえ、聖戦時代の貴重
な資料です。ならば、神の目と全く関係がないとも言えないでしょう。」
 ストレルバウの口調は、返答と言うよりむしろ、ファトラをたしなめようとしている
ようだった。
「詭弁じゃな。それを言うのなら、この研究室にある物は全てその対象になってしまう
ではないか?」
 ファトラは右腕を横に振って。部屋の中を示すと、更に続けた。
「この機械に残っていた愚か者どもの話は記録してあるのじゃろう?」
「もちろんです。誠くんが自分で見た物を書き留め、私がそれを見て、足りないところ
を質問して補っております。」
「それを見て、そなたは何か思い当たることはなかったか?」
「何かと申しますと?」
 ファトラの言葉にストレルバウが疑問符を浮かべる。腕組みをして一拍置いてから、
ファトラは言い直した。
「どこかで似た話を見聞きしたことなど無いかと聞いておる。」
「ファトラ王女は何か心当たりがお有りなのですか?」
 ストレルバウの顔色が途端に変わったのを見て、ファトラはそれを右手で制した。ス
トレルバウの動きが止まったのを確認してから続ける。
「まあ、確かにそなたでは見たことはあっても忘れておるかもしれんのぉ。」
 そこでファトラはストレルバウの隣のアレーレに視線を移した。
「アレーレ、昨日頼んだ物は見つかったか?」
 ファトラの言葉の意味を即座に理解したらしいアレーレは、右手を挙げて答えてきた。
「はい、ファトラ様。あ、取ってきますから、しばらくお待ち下さいね。」
 そう言うや否や、アレーレは回れ右をするとぱたぱたと音を立てて、研究室から出て
いった。

後編に続く)


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